♦︎カメルーンでの生活①♦︎〜青年の日〜

 日本から約2日かけてカメルーンに到着してから三日が経った。

現地に1ヶ月半滞在するのでブログを暇な時に少し書こうと思います!

まあSNSの更新だけだと記録が流れて終わってしまうと思うのでブログで少しまとまった記録を残したい思った次第です。てことでブログを始めます。

 

さて、今日2月11日は「青年の日」と言われ祝日にあたるのでお休み。
「青年の日」には子ども達が学校ごとに集まり行進(デフィレ)を行うらしい。
見に行けなくて残念…これまでの2日間をブログで振り返りたいと思います。
 

昨年のウガンダに引き続き二回目のアフリカ、そして初めての一人暮らしがカメルーンでスタート!最初の関門、JICA事務所での自己紹介終わりインターン開始。カメルーン大使館表敬も無事に終わりました。事務所から借りているアパートが遠くて、徒歩だと40分くらいかかる。だから事務所までは治安と安全面を考慮してタクシー通勤してます。

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(アパートの前の道 黄色車がタクシー)

 

一人でタクシーに乗るわけだけど…フランス語が全くできない。

 

なので事務所の人から、英語が話せるであろうドライバーさんを何人か紹介してもらい、この2日間、リストを頼りにかたっぱしから電話をかけた。5人ぐらいに電話をかけた結果、やっと昨日英語のできるドライバーさんを一人見つけられなんとか通勤はできてる。

 

同じ国のドライバーさんでも使える言語が違うのには理由がある。カメールンは公用語が二つある世界でも珍しい国。フランス語と英語がそれぞれ人口の70%と30%の割合で使われている。

 

この背景には過去にフランスとイギリスに植民地にされていた影響がある。他にも、スペインやドイツにも植民地にされていたので、地域によってはスペイン語、ドイツ語を話す人もいたりする。

 

歴史的な話をもう少しすると、1960年1月にフランス領から独立し、翌年には西方も独立を果たした。そして84年の1月に「カメルーン共和国」へ。現職の大統領は83歳のおじいちゃん、ポール・ビヤが事実上の一党独裁体制で勤めている。

 

最近は2年後の18年に大統領選がある事と、現在カメルーン極北州で起きているボコハラムのテロを未然に防ぐために首都内警備が厳しくなっている。だから夕方街をうろついてたりすると、軍服?警官服?を着たイカついお兄さんに身分証の提示を求められたりする。※私はフランス語がわからないから恐る恐るパスポートを見せる。

 

下記の図の色の濃いバメンダ地方がイギリス植民地で今でも英語が使われている。ただし、数十年のうちに現地語と英語が混ざり独自の進化を遂げて「ピジンイングリシュ」(英語と現地語が混合した言語)になっている。

 

カメルーンイングリシュスピーカーの分布図

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(by:http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/6376389.stm)

 

そんなわけで英語もかろうじでしか話せない私にとってはかなりハードな国。初日は丸暗記した「ここに行って!!」というフランス語のフレーズと地図を見せてなんとか帰宅。でも、JICA事務所でナショナルスタッフが話している会話も当然フランス語なのでコミュニケーションが取れず苦戦中。なぜもっとフランス語を勉強していかなかったのかと今になって後悔してる。でも、もう現地に来てしまったのでやるしかないってことで今からでも少しづつ勉強します😥

 

食事は自炊で、昨日から料理を開始。スーパーで材料を買い揃えて、調理するって時に火が全くつかず、管理人さん?みたいな人を呼んだ。でも、ガスが壊れていることが全く伝わらず、最終的に単語をスマホで訳してやっと伝わった。「あ〜ガスね!ちょっと待ってろ!」と英語で言われ、なんで今までフランス語しか話さなかったんだよ!と、突っ込みを入れたくなったけど、言うのを堪え無事に直してもらえた。

f:id:d1008kbt:20160211230033j:plain(アパートのキッチン)

 

  明日からカメルーンの中小企業振興とKAIZEN Projectに参加します!!

語学はまだまだだけど、なんとか生活できてます。1ヶ月半、自分ができることは何なのか考え行動していきます!